FYI ~ アラサー港区おじさんの独白

某会社で働いています。論理性が重視される職場ではありますが、ここでは感情や直感を大切に、お話をしています。

エンドロールの後の世界で

 

東大理系の入学試験日程って、初日が国語・数学で、2日目が理科・英語で。

で、僕は理科と英語がものすごく得意で、国語と数学はそこそこだったので、初日はとりあえず耐えて、2日目で追い上げる、っていうスタイルで。

模試の時なんかも数学がほぼ0点みたいなあり得ない点数だったけど、理科と英語が驚異的な高得点だった結果、

志望全体での席次が定員の上位1割(もちろん合否判定はA)とかだったこともあって。

 

ところが、入試本番を迎えてみると、初日の数学が思いのほかできてしまって。

前半3問がするりするりと解けてしまい、その年最も難しいと言われた(諸説あり)大問4についても、少なくとも方針点はとれて。

なので、その段階で割と僕は「これは、まあ」みたいな気持ちになって。初日の夜はご飯もいっぱい食べて、ぐっすり寝て。

 

で、2日目はボーナスステージにいる感覚が強くて。

一番得意だった物理が、とても難しい年だったんだけど、かえって「まあ初日できたしな」みたいな気持ちで余裕を持って取り組めて、

その結果、割と冷静に諸々の情報を整理できて、これまたするりするりと解けてしまって。

英語が始まる前には「これ英語受けなくても受かるかも」みたいな気持ちだった(さすがにそんなことはなかったけど)

 

大受験て、割とドラマだったりするけど、僕はあんまりそんな感じじゃなかったな。

自分もそうだけど、周りも、「まあ受かるよね」みたいな感じだったし。

 

***

 

人生についても、いま、似たような、ボーナスステージにいるような感覚がある。

同い年の友人と「仮に明日死んでしまうとしても、悔いはないよね」って話ができるくらい。

普通の人と比べて何かを成し遂げたわけではないのに、なぜそんな風に思えるかはわからない。

でも僕は、生と死について考えるとき、あの日の英語の試験が始まる直前のような気持ちになる。

 

いずれにしても、これからの人生でスコアを上げるにあたって、僕の性格上この「ボーナスステージ」感は大事で。

プレッシャーの強い状況だと、焦って解ける問題も解けなくなってしまうし。

目の前のことにいっぱいいっぱいになってしまって、全体を俯瞰することもできなくなってしまったら、

それこそ折角たどりついた裏ステージをめいっぱい楽しめなくなってしまう。

 

そして、もし英語の受験を放棄して初春の東京に繰り出していたら、東大には落ちていたように、

きっと今、人生を放棄してしまったら、本当の意味で「あがり」にはならない気がするんだよね。

 

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シナリオ本編を戦ってくれた過去の自分に感謝しつつも、

感動的なエンドロールの余韻に浸ってばかりはいられない。

いま、この瞬間を生きている僕が、過去の自分に恥ずかしくないように、

少し長めのボーナスステージを戦っていかなければ、と思う。

 

優しい気持ちで。